【内田雅也の追球 解説・特別版】阪神の新監督が岡田彰布氏(64)に内定したのは今月16日である。阪神・藤原崇起オーナー(70=阪神電鉄会長)が阪急阪神ホールディングス(HD)会長兼グループ最高経営責任者(CEO)の角和夫氏(73=阪急電鉄会長)を訪ね、岡田新監督で一致をみた
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ただ、阪神球団内部で新監督に定めていたのは平田勝男2軍監督(63)の昇格だった。6月15日、阪急阪神HD株主総会で株主から質問もあった次期監督像について、谷本修オーナー代行(58=阪神電鉄取締役)が記者団に語った「育成主体で生え抜き中心のチームづくりをできる人」は平田新監督を念頭に置いていた。
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ところが、球団から再三の上申を受けながら、球団トップの藤原氏はなかなか最終決断を下さなかった。球団にとっては親会社の親会社、阪急の影響力が強まっていたのだ。早大後輩でもある岡田氏の監督就任を望むと伝わる角氏を説得する自信がなかったのだろう。
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ようやく重い腰を上げた藤原氏だが、16日の角氏との会談では平田新監督の球団案を取り下げ、岡田新監督の阪急案でおさまった。平田新監督で構想を固めていた球団も方針転換を強いられ、岡田氏への要請に動いた。
タイガースの監督は阪神電鉄が決める――という伝統球団のあるべき図式が壊れたわけである。
阪神電鉄と阪急阪神HDの間には「球団の経営は阪神電鉄が行う」との内部文書
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阪急系のあるHD役員は「球団経営に手を出したわけではない。阪神が忖度(そんたく)したまでだ」と話した。確かに、阪神は圧力を感じていただろうが、角氏やHD幹部が球団に監督人事で正式に指示や要望を出してはいない。むろん球団役員会の議事録にもない。隠然とした支配の結果だった。
過去にも角氏の意向を阪神が忖度した例はある。14年9月23日、和田豊監督が
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15年オフの金本知憲監督就任時も岡田氏の名前が浮かんでいた。当時の南信男球団顧問、四藤
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18年10月11日、金本監督が辞任した際、球団は金本続投で動いていた。揚塩健治球団社長が金本監督に辞任勧告した前夜、谷本球団副社長(当時)は宮崎で矢野2軍監督に1軍ヘッドコーチ就任を要請していた。球団を無視し、阪神本社上層部がHD上層部の意向をくんだわけで、金本監督は事実上の解任だった。
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経緯はともあれ岡田新監督には期待する。08年10月の監督辞任から14年。あの優れた野球頭脳、勝負勘を放っておくのは損失とみていた。11月で65歳。今回が監督復帰最後の機会だったろう。
既にコーチ陣編成にも着手・・・・・
阪神球団内部で新監督に定めていたのは平田勝男2軍監督(63)の昇格だった。(本文中より)
— 阪井 日向 スポーツニッポン 阪神担当 (@SponichiHinata) September 27, 2022
【内田雅也の追球】なぜ阪神次期監督は岡田氏だったのか 強まる阪急の影響力、球団案から方針転換― スポニチ Sponichi Annex 野球 https://t.co/QJRHtTAxqk
声をかけた人に断られ続けたんやろ。