怪我、野手転向、ベストナイン、また怪我から社会人野球に進み首位打者&MVP…
近本選手の軌跡が本人のコメント付きで読める4記事です。
本人の野球観・人生観がよくわかる記事です。
是非読んでみてください☆
「自分ではピッチャーはあまり好きじゃなかったんです。小学校のときに『左利きやから投げろ』って言われて投げてたんですけど、全然楽しくなかったんですよね。
(中略)
高校ではピッチャーと外野手を兼任したが、甲子園には届かなかった。高校の先輩がいたこともあってスポーツ推薦で関学へ。「僕、プロは全然意識してなかったんで、就職ってことを考えたら関学が一番なんで」とキッパリ。大学卒業後は金融や保険、商社への就職をイメージしていたという。
法学部生になったばかりのころは、野球よりも勉強のほうが気がかりだった。「入学したときに『この中から2割は卒業できません』と言われるぐらい勉強が厳しかったんで、卒業できればいいなって感じてましたね」と笑う。・・・・・
関学での野球生活は、初めは輝かしいものではなかった。1回生の6月に投げ込みすぎて右肘(ひじ)を痛めた。ずっと肘をかばっていたことで、肩まで痛くなってしまった。けがが続いて、練習は走り込みばかり。退屈
(中略)
近本自身が「自主練は好きだけど、全体練は嫌い」と言うほどだ。科学的に効果も実証されている加圧トレーニングや、プライオメトリックトレーニング(中略)「自主練の影響は大きかったと思います。植松が変わってるのもあって、変わったメニューが多かったですね。いまでも(当時の)トレーニングをやりたいと思うことはあります」
(中略)
打率3割7分9厘で初のベストナインに選ばれた。目標の17盗塁は超えられなかったが(注:2019年秋のシーズンまで塗り替えられていない)、10盗塁をマークした。秋には相手が警戒を強め、「近本シフト」が敷かれた。野手転向から1年足らずでのベストナインは快挙だ。・・・・・
しかし、最後までけががつきまとう。近畿大との1回戦があった16年10月4日。右腕にデッドボールを受け、尺骨を折った。そこから戦列復帰を目指して必死にリハビリに取り組んだ。「純粋に『野球やりたい』っていうだけでしたね。復活とか、もう一回ベストナインとかいう気持ちはなかったです。けがもじん帯とかそっちの方がややこしいって思ったんで、骨折でよかった、これぐらいで済んだなと思いましたね」。結局、近本はそのあと2度と関学のユニホームを着て打席に立つことはなかった。
(中略)
「野球は好きなんですよ。僕は俯瞰的すぎる部分が多いんですかね?」・・・・・
そんな近本がはっきりとプロ入りを意識したのは、社会人野球の名門である大阪ガスでプレーして2年目の2018年だった。4月のJABA岡山大会で、5試合で3本塁打を放った。7月の都市対抗で5割2分4厘の高打率をマークして首位打者となり、最優秀選手賞(MVP)にあたる橋戸賞に輝く。大阪ガスの初優勝に大きく貢献した。「勝負してええかな、って考えになりました」と近本。一気に注目を集め、評価も高まり、プロへの扉が開かれた。同年秋のドラフト会議。地元球団の阪神タイガースから1位指名を受けた。
(中略)ドラフト1位でタイガースというすごい球団に入れたのは、すごくよかったです。メディアを使ってうまく自分を表現したり、アピールしたりできるんで、そういった意味でドラフト1位というのはいいと思います」。自分の立ち位置を独特の言い回しで表現した。
(中略)
「こんだけ毎日、試合があることも想像できなかったですし、しんどいことも想像できなかった。こういう結果が出ることも想像できなかったですね」。1年目を振り返って、こう語った。
プロ野球でよく使われる「2年目のジンクス」という言葉も、自然体で受け止めている。「1年目はたまたま大きい壁がなかったということ。だから『2年目……』とは言われると思います。いつかは壁が来る・・・・・
チカちゃん何でも出来るスーパーマンだね!