通常なら金本知憲監督の責任が問われる順位だが、フロントは昨年オフ新たに結んだ3年契約を理由に続投させる方針だという。しかし歴史を振り返ると、これは異例中の異例。野球担当記者が話す。
「阪神は、伝統的に監督と1年契約しか結ばない球団でした。だから、1978年に2リーグ分裂以降球団史上初の最下位になった後藤次男氏は1年で辞めた。1985年に初の日本一になった後、暗黒時代に入った頃も同じで、1988年に吉田義男氏の後を受け継いだ村山実氏は1年契約。1990年から指揮を執った中村勝広氏も1年契約と報道されていた」(以下「」内同)
この伝統が途切れたように見えた時期があったという。(中略)
だが、1996年も低迷が続くと、シーズン途中の9月にフロントが藤田監督に解任を通告。会談は揉めに揉め、“お家騒動のタイガース”のイメージを世間に植えつける出来事となった。藤田監督は書面上では慣例で1年契約だったが、口頭で複数年契約を匂わされていたため、納得できなかったと言われている。
「この騒動の影響か、翌年から指揮を執る吉田義男監督は2年契約を要求(中略)
だが、1年契約の伝統はまだ完全には終わっていなかったようだ。
2002年に就任した星野仙一監督も就任要請受諾会見で、〈(野崎勝義・球団)社長は不安そうな顔をして「長期で」と言いましたけど、1年1年、勝負の積み重ねで。僕のわがままを通してもらいました。選手も1年契約。選手と一緒だ〉(2001年12月16 日 日刊スポーツ)と語って・・・・・
辞任=責任て訳でもないと思うで