それでも父は監督として、翌日以降も練習させた。小野はギプスをはめたまま、ランニングやボール拾いをした。厳しすぎるとも思った。野球で成功するには足腰をしっかり鍛えるべきとの考えもあったが、「息子だからエコヒイキしている」との声を伝え聞いたこともある。他の父兄たちの手前もあった。6年時は投手でなく、あえて遊撃を守らせた。
小野は文句一つ言わず、練習に励んだ。折尾愛真高時代、北九州にある4LDKの一軒家の自宅から片道10キロ以上を自転車通学した。早朝に家を出て、帰宅は午前さま。遅刻したのは一度だけだという。同校野球部の奥野監督は「ドがつくほど真面目。妥協することはなかった」と振り返る。・・・・・
熱血指導!
お父さんは厳しいね