阪神暗黒期(1986~2002)に阪神に入団した助っ人外国人を紹介していきます
マット・キーオ
1987 阪神 27登板 防3.80 168.0回 11勝14敗 119K WHIP1.22
1988 阪神 28登板 防2.76 179.2回 12勝12敗 *97K WHIP1.17
1989 阪神 28登板 防3.72 201.0回 15勝*9敗 110K WHIP1.20
1990 阪神 24登板 防5.00 129.2回 *7勝*9敗 *72K WHIP1.59
メジャーで3年連続2ケタ勝利の実績をぶら下げて入団
入団一年目から開幕投手を任されるなど85年の優勝以来弱体化の進む阪神を支えた
父親もNPBでプレーした経験もあり日本プロ野球史上4組目の親子本塁打も達成している
- キーオ好きやった
- キーオの髪型www
- なんでこれでOPS800越えるんや
- オマリーの六甲おろしwwwwwww
- 打った奴が全員消えていきよる
- 1992年の謎の2位wwwww
優勝してほしかったわ - そこそこ当たりがいるのにアホやなあ
- 何でコレで首になったんや?
- 暗黒期前半は言うほど悪くねえな
- こうして見ると全然はずれてへんやん!
- いい働きをしてるのに逃げられたかクビにした例が多いな
- 基本的に阪神フロントは我慢できんみたいやね
バースも解雇しようとした位やしな - 暗黒真っ只中いいゾ~これ
- 意外とみんないけるやん!
- グリーンウェルwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
- きたああああああああああ
- 神のお告げキター
- ここから打者がやべぇよ・・・やべぇよ・・・
- いちいちあだ名がダジャレwwwww
- ハイアットってこんなにひどかったのか
- 牽制だけ上手かったマクドナルドかw
- ちょいちょい良いのがおるのに勿体ないなあ
- 阪神、当たり外人けっこうおるやん
これで暗黒長引くとかフロント無能すぎるやろ - 明らかな落ち目をなぜ獲得してしまったのか
- シーズン途中で解雇が多すぎ
- >2000年には年間代打本塁打7本でMLB記録を更新
ファッ!? - まったく記憶にないわw
- メイきたああああああああああ
- メイwwwwwww
- リベラ好き
- ジョンソン好きやった
ブロワーズいなくなってから話し相手いなかったんだよな… - サンテレビ実況谷口さんがベンチのジョンソンみて
「ブロワーズが消えて寂しそうなジョンソンです・・・」
って言ってたの未だに覚えてるわ - 段々ネタ外国人ぽくなってきた
- タラスコきたああああ
- タラスコ、新庄の外野は鉄壁やった
なお打撃は(白目) - バトル神話wwwwwwwwwwwwwww
- ハートキーキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!
- ここら辺から記憶にハッキリ残ってるわ
- 何年まで闇黒なんや
- シーズンの最後のほうに怪我→そのまま解雇のパターン多いな
- もうちょい我慢してやれよ
神外人以外は残しちゃういけないみたいな方針でもあったのか - 2000年やけに多いな
暗黒ですなあ - 岩瀬wwwwwwwwwwwwwwwwww
- 助っ人外国人って解雇された後の生活大丈夫なんだろうか
- しかしホントに今は外人に恵まれてるね
- アリアスきたああああああああああああああああ
- 大当たりじゃねえかww
- ブラックなのにホワイトw
- 辛いwwwwww
- ムーアは打撃成績も載せてほしかったな
- ムーアの打撃成績
通算2年 48試合 打率.295 105打数 31安打 11打点 - 神神アン神
HRは無しやったけど、惜しいあたりが一回あった気がする - ぼちぼち暗黒終了?
- 乙やで~
- 言われてるほど悪くなかった
- マートンとブラゼルがいかに神外人だったかよくわかるね(ニッコリ
- 暗黒脱出だああああああ
ルバート・ジョーンズ
1988 阪神 53試合 ..254(201-59) 8本 26打点 10盗塁 17四死球 38三振 OPS.802
バースの退団に伴いメジャー通算147本塁打の実績をぶらさげシーズン途中に入団
元祖「バースの再来」
入団時既に肩を故障しており、まともに送球できない状態であった
NPBで初めて背番号00を付けた
ついたあだ名は「ゼロゼロ怪人」
セシル・フィルダー
1989 阪神 106試合 .302(384-116) 38本 81打点 67四死球 107三振 OPS1.031
ご存じ阪神が育てたMLB本塁打王
中々試合に出してもらえないMLBに嫌気がさし阪神に入団
9月14日、三振した際に地面にたたきつけたバットが手に当たり骨折、本塁打王を逃す
来年も活躍すると思いきや、突如退団(退団の経緯にはいろいろな憶測がある)
暗黒時代を長引かせた最大の要因であるとも言われている
大洋戦に強く、38本中16本を大洋から放った
ラリー・パリッシュ
1989 ヤクルト 130試合 .268(493-132) 42本 103打点 40四死球 129三振 OPS.892 【本塁打王】
1990 阪神 105試合 .249(381-*95) 28本 *80打点 48四死球 *98三振 OPS.843
本塁打王ながらヤクルトを解雇されたパリッシュを、フィルダーの代役として獲得
本塁打王争いのトップを走っていたが8月中旬に古傷の左膝が悪化し帰国
そのままシーズン終了と共に現役を引退した
通称「ワニ男」
リチャード・ウィッグス
1990 阪神 26試合 .191(47-9) 1本 4打点 5四死球 16三振 OPS.610
キーオ、パリッシュに続く第三の外国人選手として獲得
パリッシュの帰国により1軍に昇格したが、まったく打てず1年で解雇
トーマス・オマリー
1991 阪神 130試合 .307(476-146) 21本 81打点 59四死球 83三振 OPS.882
1992 阪神 111試合 .325(381-124) 15本 62打点 96四死球 70三振 OPS.993 【最高出塁率】 【GG】
1993 阪神 125試合 .329(434-143) 23本 87打点 77四死球 71三振 OPS.994 【首位打者】 【最高出塁率】
1994 阪神 124試合 .314(430-135) 15本 74打点 90四死球 74三振 OPS.899 【最高出塁率】
1995 ヤクルト 125試合 .302(421-127) 31本 87打点 98四死球 54三振 OPS.999 【MVP】 【最高出塁率】 【B9】
1996 ヤクルト 127試合 .315(461-145) 18本 97打点 75四死球 70三振 OPS.888
入団一年目から全試合出場、打率3割をマークするなど活躍
93年には首位打者を獲得したが、長打力がないなどの理由で翌年解雇
ヤクルト移籍後も日本一に貢献するなど大活躍
オマリーのダイナミック・イングリッシュ 〜オマリーの六甲おろし〜
マーヴェル・ウィン
1991 阪神 123試合 .230(453-104) 13本 44打点 19四死球 96三振 6盗塁 OPS.637
メジャーでは中距離打者としてそこそこ活躍
1億4000万という破格の年俸で入団するも日本野球に順応できず1年で解雇
ジェームス・パチョレック
1988 大洋 130試合 .332(497-165) 17本 76打点 35四死球 59三振 OPS.882 【最多安打】 【B9】
1989 大洋 118試合 .333(435-145) 12本 62打点 34四死球 45三振 OPS.885
1990 大洋 133試合 .326(527-172) 17本 94打点 31四死球 47三振 OPS.864 【首位打者】 【最多安打】 【B9】
1991 大洋 114試合 .310(442-137) 11本 75打点 35四死球 49三振 OPS.794
1992 阪神 129試合 .311(512-159) 22本 88打点 44四死球 73三振 OPS.865 【最多安打】 【B9】 【GG】
1993 阪神 *74試合 .323(263-*64) *7本 36打点 32四死球 45三振 OPS.700
大洋を解雇され、オマリーが誘ったこともあり入団
甲子園で自己最高の22本塁打を放ち大洋を見返す活躍でチームを2位に引き上げる
93年は故障に苦しみシーズン中に現役引退を表明し帰国
引用元Wikipedia
郭李建夫
1993 阪神 27登板 防3.68 *51.1回 5勝*4敗*2S 48K WHIP1.48
1994 阪神 49登板 防3.14 *86.0回 7勝*5敗*2S 70K WHIP1.31
1995 阪神 30登板 防3.37 115.0回 5勝12敗*0S 92K WHIP1.45
1996 阪神 45登板 防3.62 104.1回 8勝*9敗15S 81K WHIP1.32
1997 阪神 *5登板 防5.79 **4.2回 0勝*0敗*0S *3K WHIP2.14
1998 阪神 11登板 防4.61 *13.2回 2勝*1敗*0S *5K WHIP1.98
1992年のバルセロナ五輪で台湾のエースとして活躍、銀メダル獲得に貢献
先発中継ぎ抑えとなんでもやる便利屋
しかし97年に故障、98年は起用法の問題などで登板数が激減し解雇
「睾丸直撃」で有名
ロバート・ディアー
1994 阪神 70試合 .151(192-29) 8本 21打点 34四死球 76三振 OPS.576
MLB10年で226本塁打の実績を引っ提げ年俸2億7000万で入団
春季キャンプでも物凄い飛距離の打球を量産し、急遽「ディアーネット」なるものが設置される
しかしシーズンに入ると三振を量産、打率も1割台と低迷し8月に右手親指の靱帯断裂で帰国、退団となった
96年にはパドレスに復帰するも三振率6割(50打数30三振)を記録し引退
スコット・クールボー
1995 阪神 127試合 .278(468-130) 22本 77打点 57四死球 102三振 OPS.829
1996 阪神 *48試合 .210(167-*35) *2本 16打点 14四死球 *39三振 OPS.551
オマリーの後釜として獲得
1年目は怪我で出遅れるも夏以降目覚ましい活躍を見せ残留
しかし翌年、開幕から不振が続き6月に解雇
ついたあだ名は「くるくるクールボー」
グレン・デービス
1995 阪神 120試合 .256(453-116) 23本 77打点 42四死球 79三振 OPS.783
1996 阪神 *33試合 .237(114-*27) *5本 18打点 14四死球 24三振 OPS.750
こちらもオマリーの後釜として獲得
1年目は23本塁打を放ったこともあり残留
しかし2年目は首脳陣との確執もあり極度の不振に陥り6月にクールボーと一緒に解雇
クレイグ・ワーシントン
1996 阪神 22試合 .267(75-20) 3本 12打点 15四死球 11三振 OPS.794
6月にW退団したグレンとクールボーの後釜として緊急入団
来日してすぐにスタメンで起用されまずまずの成績を残すが、8月に肉離れを起こす
最終戦で復帰したが、そのまま解雇
また、同時期に入団したマースと共に期待を受け「打ってクレイグ・頼んマース」と言われた
ケビン・マース
1996 阪神 63試合 .245(241-59) 8本 42打点 27四死球 60三振 OPS.606
クレイグと同じく、W退団した二人の代わりとして緊急入団
入団当初から期待され、バースの応援歌を継承したが、すぐに応援歌を変更させられた
ヤンキースで2年連続20本塁打を放った長打力は健在だったものの弱点が多く、1年で解雇
また、同時期に入団したクレイグと共に期待を受け「打ってクレイグ・頼んマース」と言われた
マイク・グリーンウェル
1997 阪神 7試合 .231(26-6) 0本 5打点 3四死球 0三振 OPS.656
NPB史上、ある意味一番有名な外国人選手だろう
MLBで輝かしい実績を残し年俸3億8000万で入団
しかし春季キャンプで背中の痛みを訴え、公式戦初出場は5月3日
そしてその8日後、自打球が右足の甲に直撃、骨折をしてしまう
すると「野球を辞めろという神のお告げ」と突如引退宣言をし5月16日に帰国
ダネル・コールズ
1996 中日 130試合 .302(513-155) 29本 79打点 60四死球 79三振 OPS.878
1997 阪神 *63試合 .242(231-*56) *7本 28打点 14四死球 40三振 OPS.687
中日では主に1番打者として活躍、しかし守備の悪さと鈍足が問題となり解雇されMLBに復帰
グリーンウェルの「神のお告げ引退」のため、ロッキーズから緊急獲得
しかし怪我が重なり満足に働けず1年で解雇
フィル・ハイアット
1997 阪神 67試合 .204(206-42) 11本 30打点 29四死球 64三振 OPS.729
新三塁手として前年3Aで本塁打王と打点王の二冠に輝いたハイアットを獲得
しかし低打率と三振の多さなど、確実性のない打撃で二軍落ち
二軍では1試合3本塁打を放つなどまずまずの成績を残したが1年で解雇
実は、3Aで本塁打王・打点王と同時に180三振で三振王も獲得していた
当時のファンからは「ハイアット、はいアウト」などと言われた
リード・シークリスト
1997 阪神 25試合 .192(52-10) 0本 4打点 9四死球 18三振 OPS.576
グリーンウェルの退団、ハイアットの不振を受け6月に緊急入団
元は代打要員だったが、レギュラーに定着し球宴前までは3割をキープ
しかし7月5日の巨人戦で猛打賞を記録して以来まったくヒットが打てず、9月8日に解雇
ボブ・マクドナルド
1997 阪神 9登板 防7.36 7.1回 0勝1敗 9K WHIP1.50
5月に左腕不足に悩んでいた阪神の入団テストに合格し入団
しかし球は遅く、制球や変化球もいいところなしで1勝もあげないまま9月8日にハイアットと共に解雇
牽制球だけは良かった
ダグ・クリーク
1998 阪神 7登板 防5.65 28.2回 0勝4敗 24K WHIP1.67
マクドナルドと同様、左腕不足解消のため入団
しかし開幕直後に怪我で2軍落ち
それでも2軍で9勝を挙げエースとしてウエスタン優勝に貢献
二軍での活躍を見て1軍に上げるもパッとせずまた二軍落ちの繰り返しで、結局1勝も挙げられないまま1年で解雇
アロンゾ・パウエル
1992 中日 *88試合 .308(302-*93) 13本 35打点 23四死球 59三振 OPS.849
1993 中日 *97試合 .317(394-125) 27本 66打点 36四死球 76三振 OPS.952 【B9】
1994 中日 110試合 .324(423-137) 20本 76打点 47四死球 73三振 OPS.907 【首位打者】 【B9】
1995 中日 101試合 .355(389-138) 19本 69打点 33四死球 60三振 OPS.989 【首位打者】 【B9】
1996 中日 130試合 .340(518-176) 14本 67打点 46四死球 69三振 OPS.903 【首位打者】 【最多安打】 【B9】
1997 中日 106試合 .253(379-*96) 14本 56打点 38四死球 56三振 OPS.725
1998 阪神 *78試合 .255(204-*52) *9本 28打点 24四死球 50三振 OPS.759
「ダイナマイト打線復活」を宣言した1998年、中日で3年連続首位打者の実績を持つこのパウエルを獲得
しかし往年の力はなく、坪井智哉の台頭などもあり出番が徐々に減少し8月に解雇、帰国
デーブ・ハンセン
1998 阪神 121試合 .253(400-101) 11本 55打点 44四死球 89三振 OPS.695
ラソーダ監督(当時)の推薦もありドジャースから入団
中軸打者として121試合に出場したものの、期待外れに終わり1年で解雇
1999年にMLBに復帰、2000年には年間代打本塁打7本でMLB記録を更新
デジ・ウィルソン
1998 阪神 16試合 .167(24-4) 0本 3打点 0四死球 7三振 OPS.333
パウエル、ハンセンに次ぐ第三の外国人として獲得
結局パウエル、ハンセンの壁を超えられなかったため1軍になかなか上がれず1年で解雇
身長204センチ、体重104キロの巨体だったのにもかかわらず、長打が打てなかった
ダレル・メイ
1998 阪神 21登板 防3.47 129.2回 *4勝9敗 *94K WHIP1.37
1999 阪神 18登板 防4.25 112.1回 *6勝7敗 113K WHIP1.24
2000 巨人 24登板 防2.95 155.1回 12勝7敗 165K WHIP1.05
2001 巨人 26登板 防4.13 159.0回 10勝8敗 168K WHIP1.29
1年目は援護がなく4勝9敗に終わるが、阪神にとっては貴重な先発左腕を獲得
2年目もローテの柱として活躍するが、野村監督と対立
報道陣に野村批判レポートを提出、野村中傷ビラを作成、配るなどして解雇
翌年から巨人に移籍し2年連続2ケタ勝利を挙げた
ベン・リベラ
1998 阪神 44試合 防2.38 53.1回 2勝3敗27S 45K WHIP1.16
1999 阪神 29試合 防0.70 25.1回 1勝1敗12S 29K WHIP0.83
入団1年目から150キロを超える剛速球を武器に、27セーブ(当時の球団記録)を挙げるなど大活躍
しかし2年目のシーズン途中に肘を怪我し、回復の見込みなしと判断され解雇
普段は右投げだが、左でも130キロ以上の球を投げられたらしい
マーク・ジョンソン
1999 阪神 125試合 .253(376-95) 20本 66打点 56四死球 78三振 OPS.823
前半戦だけで19本塁打を放つなど主砲として活躍するも、阪神の調子が落ちると同時に打率が低下
後半戦は敵チームに弱点を突かれ、極度の不振に陥りわずか1本塁打に終わり同年限りで解雇
山﨑武司がサヨナラ3ラン(通称Xムラン)を打った試合で9回オモテに宣銅烈から起死回生の逆転3ランを放った
マイケル・ブロワーズ
1999 阪神 73試合 .251(259-65) 10本 43打点 33四死球 78三振 OPS.737
5月までは打撃好調だったが6月に調子を崩す
7月復調の兆しを見せるも球宴後には再び深刻な不振に陥る
しかし契約条件に「ファームに落とせない」「1軍以外ではプレーしない」といったものがあり球団と対立、結局8月4日に解雇
ベースから離れて立ってたため、見逃し三振が多かった
これでグリーンウェル、パウエルに続き3年連続新外人途中解雇
カート・ミラー
1999 阪神 11登板 防5.98 52.2回 2勝4敗0S 35K WHIP1.67
2000 阪神 17登板 防7.41 17.0回 0勝2敗6S 22K WHIP1.65
21歳8か月でメジャーに昇格し、マーリンズの最年少昇格記録を持っていた
98年には3Aで14勝を挙げ、99年6月末、阪神に入団
1年目は速球派投手として期待がかかったが2勝に終わる
2年目は抑えに転向するも毎試合のように失敗を重ね5月に二軍落ちし、その年限りで解雇
トニー・タラスコ
2000 阪神 102試合 .239(380-91) 19本 57打点 38四死球 87三振 OPS.735
プレーオフ出場経験もある現役メジャーリーガーを獲得
しかし阪神が期待するほどの成績は残せず1年で解雇
守備と肩はよかった
ハワード・バトル
2000 阪神 13試合 .227(44-10) 1本 1打点 4四死球 14三振 OPS.633
前年3Aで24本塁打を放ち、阪神に入団
太りすぎのため開幕二軍スタートとなってしまう
しかし、ウエスタン開幕戦から二軍は連勝街道まっしぐら、一軍に昇格すると今度は一軍が連勝
「バトルを試合に出せば負けない」などというジンクスが出来上がるも、長続きせず、再び二軍に落ちシーズン途中で解雇
唯一の本塁打と打点は中日岩瀬から放ったソロHRであった
これで4年連続新外人途中解雇
ジェイソン・ハートキー
2000 阪神 76試合 .272(302-82) 4本 27打点 17四死球 55三振 OPS.687
阪神の十八番、緊急補強が3年ぶりに炸裂
不振のバトルに代わって入団
主に2番で起用されそこそこの成績を残すも、シーズン終盤に脇腹を痛めたこともあり1年で解雇
マイカ・フランクリン
1999 日本ハム 131試合 .238(428-102) 30本 80打点 86四死球 125三振 OPS.863
2000 日本ハム **5試合 .200(*15-**3) *0本 *0打点 *5四死球 **6三振 OPS.733
2000 阪神 **8試合 .172(*29-**5) *2本 *6打点 *6四死球 *13三振 OPS.728
2000 合計 *13試合 .182(*44-**8) *2本 *6打点 11四死球 *19三振 OPS.732
またまた緊急補強が炸裂
99年に日本ハムで30本塁打を記録するなど活躍
しかしウィルソンとオバンドーの復帰により出番が減少、金銭トレードで阪神へ
出だしは活躍したものの膝の怪我で早々にいなくなり、その年限りで解雇
ロベルト・ラミレズ
2000 阪神 9登板 防5.55 35.2回 1勝3敗 17K WHIP1.96
マグドナルド、クリークに次ぐ左の技巧派として獲得
4月19日に巨人戦で初勝利を挙げるもその後は全く勝てず1年で解雇
しかし2軍では防御率0.91、7勝と活躍
2006年のWBCメキシコ代表に選出された
グレッグ・ハンセル
2000 阪神 20登板 防4.34 114.0回 7勝*8敗 *97K WHIP1.40
2001 阪神 27登板 防3.49 162.1回 5勝13敗 123K WHIP1.36
2002 阪神 *5登板 防1.93 **4.2回 0勝*0敗 **2K WHIP1.07
先発ローテ候補として阪神に入団
1年目は7勝8敗と負け越すものの後半戦から安定感がマシ残留
2年目も5勝13敗と大きく負け越すも、防御率3.49は立派
しかし監督が星野になった3年目、ヘルニアが悪化し手術を受け回復するも監督の戦力構想から外れ解雇
イバン・クルーズ
2001 阪神 70試合 .234(239-56) 14本 34打点 28四死球 62三振 OPS.746
2003 中日 71試合 .222(225-50) 11本 34打点 22四死球 60三振 OPS.704
オープン戦19試合で.385、7本塁打、14打点をマークし「バースの再来」と騒がれる
開幕2戦目で巨人・メイから特大アーチを放ち「今回こそは本物」と言われるもその後は低打率にあえぐ
また、左肩を負傷し帰国、当然1年で解雇された
巨人戦に強く、14本塁打のうち7本を巨人戦で放っている
エドゥアルド・ペレス
2001 阪神 52試合 .222(167-37) 3本 19打点 22四死球 48三振 OPS.652
メジャー通算37本塁打の実績を引っ提げ来日
しかし春季キャンプで膝を故障するなどして全く活躍できず1年で解雇
中日岩瀬に強くサヨナラヒットや3ランホームランなどを放っている
トム・エバンス
2001 阪神 39試合 .242(124-30) *2本 14打点 23四死球 36三振 OPS.681
2002 西武 78試合 .252(242-61) 15本 45打点 50四死球 93三振 OPS.882
新庄のつけていた背番号5を継承
打撃はあまり良くなかったが守備固めなどでそこそこ活躍、保険として残留
2年目の2002年にはアリアスとホワイトがいたせいで一軍出場はなく、橋本武広とのトレードで西武へ
西武時代は勝負強い打撃でリーグ優勝に貢献するも、平尾の故障が完治したこともあり解雇
バディ・カーライル
2001 阪神 28登板 防3.87 153.1回 7勝10敗 111K WHIP1.40
2002 阪神 *3登板 防7.53 *14.1回 0勝*2敗 *13K WHIP1.53
2010 日本ハム *7登板 防4.48 *27.2回 0勝*3敗 *14K WHIP1.67
1年目は7勝10敗と負け越すも、リーグ14位となる防御率3.87を残し残留
しかし2年目に調子を落とし防御率は7点台にまで悪化、未勝利に終わり解雇
2010年に日本ハムに入団しNPBに復帰するもまたも未勝利に終わりシーズン途中で解雇
ジョージ・アリアス
2000 オリックス 116試合 .250(412-103) 26本 *61打点 46四死球 110三振 OPS.816
2001 オリックス 139試合 .262(543-142) 38本 *97打点 53四死球 104三振 OPS.837
2002 阪神. 126試合 .258(473-122) 32本 *82打点 44四死球 126三振 OPS.843
2003 阪神. 124試合 .265(464-123) 38本 107打点 50四死球 130三振 OPS.899
2004 阪神. 117試合 .272(412-112) 25本 *84打点 35四死球 119三振 OPS.848
2006 巨人. *17試合 .167(*60-*10) *2本 **5打点 *4四死球 *15三振 OPS.519
年俸面で揉めてオリックスを退団したアリアスを、監督に就任した星野仙一の強い要望により獲得
阪神1年目からフィルダー以来となる30本塁打を達成するなどその打棒を発揮
2003年は主に5番として38本塁打を放ち28年ぶりのリーグ優勝に貢献
デリック・ホワイト
2002 阪神 73試合 .227(220-50) 7本 21打点 27四死球 55三振 OPS.678
春季キャンプでテスト入団
入団当初は4番で起用されたりしたが、手首痛に悩まされ成績を残せず1年で解雇
2006年にメキシカンリーグでプレーし首位打者(.407)に輝いている
名前はホワイトだが黒人である
トレイ・ムーア
2002 阪神. 27登板 防3.33 181.1回 10勝11敗 116K WHIP1.24
2003 阪神. 21登板 防4.35 111.2回 10勝*6敗 *94K WHIP1.44
2004 オリックス 16登板 防6.24 *83.2回 *6勝*6敗 *63K WHIP1.94
入団1年目から2年連続で2ケタ勝利を挙げるなど先発ローテの一角として活躍
しかし2004年に葛西2軍投手コーチとの確執もあり退団
2005年にオリックスに入団し6勝を挙げるも解雇
打撃がいいことで有名で、2003のオールスターファン投票では一塁手部門3位になっている(1位桧山、2位清原、4位新井)
マーク・バルデス
2002 阪神 42登板 防1.54 52.2回 4勝3敗22S 39K WHIP1.08
2003 中日 37登板 防4.45 58.2回 0勝3敗*1S 38K WHIP1.33
2004 中日 30登板 防3.51 25.2回 1勝1敗*1S 17K WHIP1.40
成本年秀に代わる抑えとして期待され入団
1年目から22セーブを挙げる活躍を見せたが、ウィリアムス獲得のため解雇
翌年からは中日でプレーするも、あまり活躍できず2年で解雇
以上です
これまでの暗黒ノリだったらマートンも今年で解雇されてたっぽいな(ホッ