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藤川監督の長男「お父さんのスタンスは昔から“やりたいことをやればいい”」
今年は1回も球場に見に行けてないけど、速報をチェックしつつ、チャンスやピンチの場面では中継を見たりしていたので、ほぼ毎試合を追ってはいました。お母さんや妹たちとは、『また勝ってる、強いな』、『また佐藤選手がホームラン打ってるわ』って話したり。ピンチの時は頑張れと応援することもありました。-
采配の難しさを知った序盤は「監督って大変やな…」と吐露。報道陣に「ストレスは全くない」と笑顔を振りまきながら、眠れぬ夜を過ごした。「験担ぎはしない」と言いつつ、試合中の「のど飴の食べ方」のマイルールをつくってまで白星を欲した。
周囲にも完璧を求めるあまり、コーチ陣やスタッフへの要求はときに度を超えた。「野球になってない! へぼですよ!」。ミーティングで声を荒らげる光景は1度や2度じゃなかった。試合中にベンチ裏のパイプイスを蹴り上げ、壊したことも。「このままでは…」と関係性を危ぶむ声が出るほど、自身を追い込みすぎるがゆえの不器用さがあった。それでも、勝利に心血を注ぐ指揮官を家族、コーチ、スタッフらが歯を食いしばって支え続けた。
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森下翔太の母・ゆりさん「たくさんホームランを見ることができました」「後悔しないように、今を進んでいってほしい」
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近本光司が若き日に授かった鳥谷敬氏からの金言「簡単に試合を休んでいたらレギュラーを張れないぞ」
「人間って、どんどん、楽に楽に、と思う。一回でも休んでしまったら“ちょっと休みたいな”という気持ちも出てくるので」
疲労を配慮する首脳陣に感謝しつつ「(試合を)休めたから、体が休まるわけではない」。ベンチスタートでも、土壇場の出番に備える。心身ともに臨戦態勢を整え、たどり着いた126試合目の奪冠。普段はクールな30歳が、全身で喜びを表現した。-
菅野智之から2打席連続本塁打を放った日本人選手一覧
田中広輔(2016)
近本光司(2020)
中村悠平(2022)
大谷翔平(2025) MLB-
近本 2度目の優勝-これからは「楽しく野球がしたい」 自分で決めてきた人生「FAも自分で決めていきたい」
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大山悠輔内野手(30)をよく知る白鷗大時代からの親友、龍幸之介さん(30)
「悠輔の考えを尊重するし、自分の人生を考えてほしい」と話したけど、周りの目もあるから簡単じゃなかったと思う。特に家族のことを一番に考えていて、弱音を吐く姿なんて見たことがなかったから、ここまで悩む姿は正直、見ていられなかった。
会見直前に「決めた」って電話が来た時は、吹っ切れた感じが伝わってきた。「今の仲間を敵に回すことは考えられないし、もう一回このチームで優勝したい」。友達にそういうことを言うのって、くさいと思うけど、僕に言ってくれて。ジーンときました。でも、それが悠輔らしかった。
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大阪ですが、首相辞任のニュースに、2年前より阪神優勝のテレビが少ないような…。
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才木浩人、村上頌樹とともに活躍し「2人で10勝しながら…」同学年右腕が優勝に貢献
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昨晩三浦監督試合後阪神優勝に「総合的に良かった。打線も固定メンバーでケガも少なかった。投手力も素晴らしかった。投手にもケガが少なかった」2位を目指す戦い「今日から切り替えないと。リーグVが完全にゼロになった訳で来週から切り替えてやっていきます」
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ベストプレーか…。うーん。あんまないかな。やっぱり打たれた記憶が強い。いっぱい出てくる。これも打たれたな、これもいけると思ったのに打たれたなとか。その後のなんでそういうふうになっちゃったか、こうしとくべきだったなという確認はできていたから、それが一番良かった。自分の頭の中には打たれた場面の方が残ってる。
僕のプロ野球人生の始まりは、プロ初スタメンで能見さんと組んで、2イニングで6点取られて代わってるから。その試合が全てのスタートだから。忘れることないね。ずっと残ってる。何もわかってなかった。何もわからずやってた。その頃とはやってる野球が違うかな。-
2年前は梅野さんとの併用。ずっと2人でやってきた。それもいい経験だった。その時は梅野さんが最後にけがをしてしまって、それからは出続けたけど、今年は出場機会が増えて、こういうチーム状況を作れたことは、個人的に「こうありたい」と思ってやってきた。うれしいとかじゃなく、自分の中での充実感というのは、すごいあるんじゃないかな。
正捕手かどうかは、正直どうでも良くて。そんなことは考えてない。ただ自分が出続けたい。出て自分の思ってること、考えたりしてることを野球で表現して、形、結果にしたいという思いはずっとあった。そういうふうに今も思ってやってる。-
ずっと何かあるたびに「クソッ!」と思ってた。環境のせいにはしたくなかったから。言い訳したくないから。その後、3年目から5年目ぐらいかな、試合の数もあまり出てなかった。
その時も、僕は自分で自分の剣を研いできたっていう自負はあった。
正直、そこだけは負けたくないと思った。環境のせいにしたくないというのは、そこだし。誰かがいるから出られないとか、使ってもらえないから結果が出ないじゃなくて。そんなことを言ってる暇があったら、僕は自分の剣を研ぐことに集中した。それだけは、誰にも負けたくなかった。
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サンテレビ 阪神V中継の視聴率は14・8% 瞬間最高は藤川監督胴上げシーンの20・5%
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才木に“口頭注意”、大山悠輔は虎の良心であり続けた 「いろんな決断をしての1年目。優勝したかった」
入団9年目を迎え、今やチームの良心といえる存在になった。8月24日のヤクルト戦。途中交代にマウンドで不満げな態度を取った才木に、イニング終了後にベンチで伝えた。
「ああいう姿は気を付けた方がいい」
野球はチームスポーツ。感情を抑える時が必要だと諭した。才木は「プロに入って初めてああいうことを試合中に言われた。チームメートが見ているところで良くなかった」と気付かされた。-
エースに言うべきことを言える。しかも、納得させられる。後輩をよく食事に連れていく面倒見の良さ、内野手に悪送球が出れば「俺が悪かった」と先に仲間を気遣う大山の人間味だからこそ、周囲も発言に耳を傾ける。
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この話しびれる
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昨年12月から人生初の1人暮らしを始めた。オフのイベントも重なる多忙な中、野球以外で頭を悩ませる日々。ガスの契約方法も分からず、「お湯張り」のボタンを押しても水しか出てこない夜もあった。「適当でした」。だらしなさにまみれた私生活。特に、プロとして最も大事な食生活は「外食か、ウーバーイーツの牛丼大盛り」のローテーションだった。3月上旬、偏った食生活が引き金となり体調不良に陥った。一時離脱を余儀なくされ「これじゃいけない。本気で改めないと一年間、1軍では戦えない」とすぐに決意を行動に変えた。
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2023年に続いて2025年
も優勝って暗黒期を知る
ファンにとっては夢のような
状況 1985バースさん2003.05金本さんの
おかげやったけど
今や生え抜きでここまで来るとは涙です

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おはようございます
まだ寝てるわな