ポケット内のスマートフォンが振動した。16日の夕暮れ時。大阪市内で電車に乗った時だった。後でかけ直そうと思ったが、着信画面に映し出された名前を見て、すぐに駅のホームに戻った。
「引退することを決めました。今までありがとうございました」
明るい声だった。突然の報告にこちらは戸惑ったが、落ち着いた口調からは現役生活をやりきった、との思いが伝わってきた。
(中略)
上本と出会ったのは、15年前の春。早大野球部で私の1学年後輩だった。ポジションは同じ二塁手。広島・広陵高からセンバツ優勝の実績をひっさげてやって来た。「困ったことがあったらなんでも言ってこいよ」と先輩面していた私だが、そのプライドは、初めて一緒に練習した日に砕け散った。柔らかいグラブさばきとリストを生かした打撃。そのセンスを目の当たりにして、思った。「こりゃまいった」
ここから続き
以来、特別な存在としてつき合ってきた。上本は大学4年間でリーグ通算109安打を放ち、ドラフト3位で阪神へ。私は新聞記者になり、2012、13年と阪神を担当した。常に全力でプレーする姿に、一ファンとして心も打たれた。ただ、そのぶん心配があった。ケガが多いことだ。
(中略)
ある日。そんな姿を見かねて、尋ねてみた。「無理しすぎなのでは?」。即答だった。「僕みたいな選手は・・・・・
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ウエポン><
追記
別の記者さんの記事もありました、こちらも必見です
「高校球児、ちゃんと守ってや」#阪神 #上本博紀 選手の同期・小俣先輩@omata_yuki のエピソード満載記事。
— 大坂尚子 (@Naoko_OSAKA) December 21, 2020
最後の言葉に、野球愛を感じました。
私が入学した時の主将。神2(神宮2階席)から見ていて、いつも背中が頼もしかった。おつかれさまでした。
https://t.co/bfPDGXTiwQ
そーね。怪我が多かったのが玉にきずだけど
そこまて追い込まなかったらそもそもここまで来れてなかったいうことなんかなぁ