シーズンオフに選手が書いた反省文に野村さんが赤いペンで書き込んだメモの写しが出てきたという。3年連続最下位に終わり「阪神監督を受けたのは失敗だった」が、晩年の口癖だったが、チーム再建にかけた熱意が伝わってくる野村メモ。三宅さんは「野村さんが残した遺産は継承されていく」と偉大な故人を追悼した。
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「もう20年以上も前の話だが、野村さんは、こんなことをされていたんだと、胸が熱くなった。改めて本当に野球を研究され、阪神を強くしようと本気で取り組んでいらっしゃったんだと思い返した。
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桧山進次郎氏に対しては、桧山の反省レポートよりも、野村さんが書いた返答の方が長かったという。
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高田順弘球団社長からは、「野村さんが『阪神にデータは揃っているのか』と言っているようですが、うちのデータで大丈夫ですか」と心配された。三宅さんは「心配しないで下さい」と、胸を張ったものの、内心、ID野球を標榜する野村さん
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三宅さんが監督室で野村さんに資料を渡すと、何も言わず鋭い目で、長い時間、それらに目を通した野村さんは、「ヤクルトよりええデータが揃っとるやないか、なんでこれで阪神は勝てんのや」と、いきなり毒舌をぶったという。
野村さんの教える野球を消化、理解するだけの力がなかった。戦力も整っていなかった。野村さんのぼやきで、選手は発奮どころかしゅんとしてしまい、どんどんマイナスの方向に向かってしまった。でも星野仙一さんが来て2年後に優勝した。星野さんは、選手を大きく入れ替え、金本をFAで取るなど大改革をしたが、その土台には、野村さんが教えた遺産があったと思う。野村さんは阪神監督をしたのは失敗だったと言っていたが失敗ではなかった」
星野体制でもチーフスコアラーとしてチームを支えた三宅さんは、星野さんから「野村さんが教え込んでくれた野球のおかげだ」と打ち明けられたこともあったという。
「矢野監督もベンチで野村さんにぼやかれ配球を学んだ一人・・・・・
本気で阪神に尽くしてくださった野村さん、本当にありがとうございます。
ノムさんも星野さんも阪神にはなくてはならない存在。
二人の尽力に答えるという意味でも、
今年は是非優勝してほしいな!