10~12年に阪神・メッセンジャーの初代通訳を務めた永田俊紘氏(36=現ヤクルトアナリスト)がエースに登り詰めるまでの秘話を
(中略)
横浜への移動日でランディがヘコんでるから食事に誘って行ったのが「吉村家」なんです。そこから10年間通い詰めた、一番大好きなラーメン屋になりましたね。おそらく、打ちひしがれた心にあの吉村家の濃いスープがしみたんじゃないかなと…。
一度2軍降格になって、もう先発しか生きる道がなかったと思います。当時2軍にいた久保コーチに教えられたことをやって、1軍に上がってきた時に笑顔で合流してきたんです。ふてくされて来ると思っていたのでこれはいける
(中略)
ここまで日本で活躍できた要因は間違いなく研究心です。僕がランディの家に招かれて食事をしたことがあったんですが、自分の投げない試合でもずっと相手の打者を見てるんですよ。それもテレビに食らいつくように。だから、2軍から昇格したばかりの選手の顔と名前を全部覚えてるんです。試合前のミーティングでも僕が知らないような選手でも“この前打っていたな”とか頭に入ってましたね。野球に対する記憶力が尋常じゃない。
(中略)
引退を発表してすぐにランディからメールが届いたんです。ベネッサ(夫人)と寿司屋に行ってたみたいで、ウニの写真が送られてきたんですよ。僕もしんみりするのは嫌なんで“めっちゃ食べたいわ”と軽い感じで返したんですけど、次に来た返信に“本当に今までありがとう。トシがいなかったらうまくアジャストできなかった。いろんなとこ・・・・・
永田さんはラーメンを通じて文字通りの日米の懸け橋になったね。