鳥谷の心情もチーム事情も関係なかった。鳥谷の球歴に敬意を払うのならば、去就問題への対応は、もっと前の段階に行い、ソフトランディングすべきだったのだ。
過去に阪神は大物スターの引き際にトラブルを繰り返してきた。1988年には、村山実監督に“不安分子”として扱われ、嫌われた掛布雅之氏が「個人の問題でこれ以上チームに迷惑をかけられない」と、突然、監督室を訪れ、村山監督に引退を報告し、自ら去就問題にピリオドを打った。球団サイドは「今後も遠征に帯同して全国の球場でプレーして引退の挨拶としてはどうか」と薦めたが、そのプランを断って「辞める人間が1軍にいてはおかしい」と自ら2軍落ちを求めて、引退試合として最終戦にスタメン出場した。
岡田彰布氏もマスコミへ戦力外をリークされる形で去就問題が起き、結局、「引退してスカウトをしなさい」と引退勧告された。岡田氏は、それを拒否、自由契約の道を選択しオリックスに移籍した。真弓明信氏も、球団サイドが引退試合を用意して引退勧告を行ったが、それを拒否。自由契約を選択したが、獲得する球団は現れず、1年後にフェイドアウトするかのように引退した。
だが、近年は、これらの反省を下に看板スターの去り際のトラブルを避けるための処置が講じられていた。金本知憲氏や、桧山進次郎氏の引退に関しては、球団幹部が、早い段階から非公式に会談の席を持ち、球団の方針を伝え、「まだやれる。やりたい」という本人を地道に説得しながら引退の花道を作ってきた。事実上の戦力外だったが、そういう情報は一切表に出さずに“阿吽の呼吸”で、交渉、説得を進めてソフトランディングに成功させて綺麗な引退発表となっていた。・・・・・
不手際…
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納得というか「確かに」と思える記事です。