当時のローテーション投手は中3日の休養で登板。調子のいいピッチャーなどリリーフ登板は中1日どころか、連投するケースも多々あった。だから、あの頃の各チームのエースはほとんどの人が年間300イニング強をこなしていた。西鉄(現西武)時代のチームメート故・稲尾和久氏みたいに2シーズンも400イニングを越す投球回数を投げた怪物(中略)
不思議だ。我々、大体は1週間か2週間休養したらピッチングを始めていた。当然肩の強弱はあるが何故……。疑問が……。元阪神のチーフトレーナー猿木忠男氏の話を思い出した。
「いいですか本間さん。自分の高校時代かプロ入り直後を思い出しながら聞いて下さいよ。本間さん達、当時、毎日練習で何球ぐらい投げていました……。そうでしょう。今言われたように1日300球から400球ぐらい投げていましたよね。それでも肩、肘などを痛めることはほとんどなかった。あの頃の練習ではあたり前の投球数。なんでも体験して体で覚える時代。毎日300~400球投げて肩等が壊れてしまう人は投手廃業でエースになれなかった。だから当時、プロにはいってくる投手はすべてをクリアしてきた人達なんであまり故障することはなかった。今時の人。知ってますか……。高校の時から100球前後ですよ。投げ込んだりすることなく、ゲームに合わせたピッチングしかしない。だから肩は少々弱くてもエースになれるんですが、プロにはいって毎日投げたりすると壊れて・・・・・
- 要約すると、昔は故障しなかったのではなく、丈夫な人が生き残った。
- 生存バイアスでしかないんだよなあ
- 「昔の投手が故障しなかった」ではなく、「昔は故障しない投手しかプロになれなかった」、と。
- 超人ばかりが集まっていたってことやねー。
- そら,昔はこんなに変化球投げる必要ありませんでしたし。
- 肘壊すのは変化球だしな。スライダー。
- つうか昔より球速10kmくらい早いしな。
- いやその怪物稲尾も8年で肩壊してるし、同時代の権藤や杉浦も酷使で怪我をしてる。更に、当時怪我をしていても黙っていたなんて話は良く出てくる。昔も普通に故障してたし、表に出ない場合が多かっただけでしょ。
- だって、今のほうが昔よりもすごい球なげないといけないんだもん。投手にかかる負担も大きくなるわ。
- 行ってることは、ほぼ合ってるけど一つだけ書き漏れてる。寿命の短いピッチャーは多かった。それも一流ほど。
変化球が少なかったからだよ。