負けてたら語られなかったやろなぁ
引用元 バックスクリーン3連発の試合で実は阪神が負けそうだったという事実
- 終盤追いつかれそうやったし
- 一点差まで詰め寄られてたんか
- 最終回に2点取られて危なかった
- 掛布のはそんなにバックスクリーンじゃないという事実
- 確かに
負けてたら語られなかったやろなぁ
引用元 バックスクリーン3連発の試合で実は阪神が負けそうだったという事実
今でも紹介される時の枕詞が「バックスクリーン3連発の………」
ちょっと前のOB戦でも「あそこだよ3連発」ってバックスクリーン指差してたな
今や完全試合よりもバックスクリーン三連発の方が有名になってるからね
あの完全試合の次の登板は甲子園で、巨人が完封負けしたという事実を覚えている人は殆どいないでしょうね。
槇原さんって阪神戦で弱かった訳でもないのに何故か印象に残る負け方をしてしまう。
バックスクリーン三連発、新庄敬遠ヒットはよく見る
ネタにしないでよ~と言いつつ、ウキウキで絡んでくる槙原さん好き
むしろ、完全、三連発、新庄のおかげで今の仕事が出来ていると思う。皮肉じゃないよ。
みなさん、槇原さんの
バックスクリーン3連発被弾や
新庄の敬遠サヨナラ打が
よく話題になりますが
槇原さんのプロ初登板が甲子園で
しかも、高卒2年目
1-0の完封勝利だったことを
覚えていますか?
やられましたねぇ、えぇ
凄いピッチャーがでてきたなぁと、覚えています、はい
そらそうよ。あれよ。
当時、150km/h超えるピッチャー珍しかったよ。速かったわ。
どんな時も~、どんな時も~
マッキ~のマキ(負け)試合
さぶっ!
あの試合、9回表に連発くらいましたなあ。三連戦の中で唯一の接戦でしわ。
オレはその夜バスクリン入れて風呂入ったでぇ~! ガハハッ!
はいはい。
さぞ、湯冷めしたことでしょう
(ФωФ)フフフ…
あの頃は硫黄分が入ってる入浴剤しか無かったやろ。
アカン事に使う連中が増えて発売自粛に成ったけど。
バスクリンは昭和30年代後半には大人気でしたなぁ。私もよくはいりましたわ。発売されなくなったんは、六一○ハップのことでっしゃろ。硫黄の臭いが懐かしいですなぁ。でも、浴槽を痛めるんで使わなくなりましたわ、ぐふふ~
ムッシュ
六一○ハップは
懐かしすぎますわ~w
ベンチではしゃいでたら『平田、自分が打った訳じゃないのに』と植草さんに突っ込まれてたね、平田さん(>_<)
確かあの試合 原 クロマティーもホームラン打ったはず
ハラ クロ?
よばれたきがした
はらぐろう
実は直前の打席までは打率1割台だったんだよ。
槇原のシュートが来た時には、無理に引っ張らずにセンター方向に打ち返すことを意識してバットを振ったらバックスクリーンに飛び込んでくれたんだよ。
マダムシンコ「キャー真弓さんの横顔なんて素敵なのかしら~( 〃▽〃)?」
父が阪神ファンで私の名前が真弓になりました。
もちろん!私もファンです♪ 大山くんのファンです。
その時のチーム防御率は4.16で、投手陣はあまりいいとは言えませんでしたわ
サヨナラ三連発の時も3点ビハインドだったお☆
でも最後まで諦めない気持ちは強かった。
ある程度は点差がないと三連発でサヨナラにならんやろ
二者連発ホームラン打たれて、危うくお返しの三連発くらうところだったって吉田さんが話してた
試合展開や采配まで話してて、凄いな~って思った
当時現地でした。9回にクロマティ,原が2者連続バックスクリーンでヒヤヒヤしました(^^)
1981年にタイガースの3選手と喋った知人が、真弓さんは顔も良かったけど頭もいいわと感心してた。
( ・`ω・´)私は内面も良いぞ
ゴルフしてますか?
カキーン❗
カキーン❗
カキーン❗
カキ~ン!
となったらいいね
江越……
裏を返せば、あの3連発は全て必要不可欠だったということですね
そろそろ新・バックスクリーン3連発が見たい
コツ~ン!
コツ~ン!!
コツ~ン!!!
ひとりバックスクリーン3連発!!!
江越www
奇妙な独り言を発しながらの左打ち練習中です
ほんまにスタンドインしとるがな・・・
まぁ、そのねぇ、何と言うか、あれは
バースにはシュート気味のストレート
掛布さんが打ったのもストレート
自分には絶対スライダーで勝負してくると呼んでねぇ、狙い打ちや
それもあってバースの打球よりも飛距離が出たわ
早くバックスクリーンの下にある店に誰かホームランぶち込んで!
ロサリオ!
ロサリオ!
正解はボクでした
烏帽子はいつ虎のマイク・キャメロンになってくれるんやろか
ホッウ!
違うよ、左打ちだから「ケン・グリフィー・ジュニア」だと言っております。
「ケガなく レギュラーとして 活躍する!」
負けてたら槇原の人生も変わってたと思う