柔らかい関西弁は相変わらずだった。懐かしさもあって、つい聞き込んでしまう。無理はない。彼と長々と話したのは、もう7年前なのだ。日付も克明に覚えている。’09年10月1日。広島カープを取材していた昼すぎ、携帯電話が鳴った。
「お世話になりました。俺、トライアウトを受けます。まだまだ頑張ります」
そうか、ダメだったのか……。辻本賢人が阪神にドラフト8巡目で指名されたのは’04年秋だった。無名どころか、中学3年の学年にあたり、ドラフト史上最年少の15歳で指名されると世間は驚き、一躍、脚光を浴びた。在籍5年間の奮闘実らず、タイガースを戦力外になった。前向きに声をはずませたが、11月の12球団合同トライアウトも球速は130キロを超える程度で、他球団から声は掛からない。わずか20歳で、現役引退の危機にさらされていた。(中略)
いま、翻訳を仕事にする辻本は「阪神を戦力外になったあと、いろんな人に助けてもらいました」と感謝する。出会いを生かして、ひたむきになった季節だった。
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- 写真みて一瞬寿司握ってんのかと思った
- メッツのマイナーおったんか、知らんかったわ
- なかなかに稀有な人生送ってんな
- 一か八か30万払ってテスト受けて一度も投げた事の無いシンカー放ってマイナーリーグに入れるんだから凄いよな
- ええ話やん
翻訳家も難しい仕事やし頑張ったんやろなぁ
阪神はこの人に可哀想なことしたと思う