そうとう悩みました。1週間は、結論を出せなかったと思います。実は教師になりたいという思いがあったからです。保健体育の先生になって、高校野球の監督になって甲子園に出たい-という夢がありました。教職もとって、母校の我孫子高校へ教育実習にもいきました。ところが、その教育実習の最中にロサンゼルス五輪(1984年)の日本代表に選ばれて、教員採用試験を受けられなかったのです。もし日本代表に選ばれていなかったら、そのまま試験を受けていた可能性は大でしたね。(中略)
家族も一緒に悩んでくれました。そんな重い空気を漂わせる中、ただひとり、こっそりひっそり喜んでいたのが父でした。父はバリバリの阪神ファンでしたから。でも、本当は大喜びしたいのに、わたしが真剣に悩んでいるので…。そんな父の“葛藤”する姿を、ふと思い出しました(笑)。
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豊かなコラム☆
和田豊、男の決断。