同点の8回、同じ育成枠の境遇だった田面とコンビを組んだ。2死二塁、内角直球で空振り三振を奪って攻守交代。1度は白球をボールボーイに手渡すが、慌てて取り戻す。「初めての三振のボール。田面さんは『いらない』と言ったけど僕の中では大切な1球…。渡してあげたかった」。育成に転落した要因だった腰痛が癒え、再出発を図るはずの13年、シート打撃中に左手を骨折。投げたのは田面だった。絶望を味わっても、グッとこらえた。
あの骨折の後、田面の剛速球が消えた。ある時、原口はそっと歩み寄って言う。「ケガのことは気にしないでください。僕も田面さんのストレートを楽しみにしていますから」。3年がたち、やっとここまで来た。クラブハウスへの引き揚げ際、原口は言う。「田面さんの最後の1球、最高のボールでしたね」…
原口&田面!
泣けるやん。