1973年(金田正泰監督) 阪神はマジック1が点灯するも、最後の2試合(中日、巨人)に連敗。優勝を逃す。特に10月22日の、勝ったチームが優勝という巨人との最終戦(甲子園球場・観衆48000人)に0-9の大敗。あまりの不甲斐なさに怒り狂ったファン1500人がグランドへなだれ込む後味の悪い試合となるのだった。
1992年(中村勝広監督) 2年連続最下位のチームに、亀山努と新庄剛志が新鮮な空気を吹き込んだ。だが、チームは9月を9勝8敗1分けとして首位で終えるも、10月を3勝6敗と最後に息切れ。優勝したヤクルトから2ゲーム差の2位でシーズン終了。
実は、2000年以前の「秋の失速」はこのくらいしかない。その理由は「暗黒時代」が長く続いたことで、「秋になる前から失速していた」ケースが多かったためと思われる。暗黒時代を抜け出し、2000年代中盤に入ると、最初は「秋に強い阪神」なのだった。(中略)
がしかし、翌年から阪神の「秋の様子」が怪しくなってくるのである。
2007年(岡田彰布監督) 8月30日から9月9日にかけて、守護神・藤川の10連投で10連勝。チームは巨人との最大12ゲーム差をひっくり返して首位に立つ。しかし、9月19日から、藤川が2試合連続セーブに失敗するなどで痛恨の9連敗。結局、この9連敗が大きく響いて3位に終わる。
2008年(岡田彰布監督) 7月終了時点では、2位巨人に9.5ゲーム差をつける独走。しかし、9月、10月に13勝16敗2分と負け越し。巨人に大逆転を食らって2位で終戦。
2009年(真弓明信監督) 9月、10月を17勝15敗で勝ち越すも、クライマックスシリーズ(CS)進出のかかった、ヤクルトとの最後の直接対決2連戦で連敗。大一番に勝ちきれず、4位でシーズンを終えることとなった。
2010年(真弓明信監督) 城島健司とマートンが加入し、打線に厚みが増す。9月にマジックが点灯するも、最後の2ヶ月を15勝13敗1分と勢いに乗り切れず。優勝した中日に1ゲーム差をつけられての2位に終わる。
2013年(和田豊監督) 藤浪晋太郎が入団。藤川はメジャーへ、金本、城島が現役引退。
チームは2位でシーズン終了するも、9月、10月に10勝18敗2分と大きく負け越し。
2014年(和田豊監督) この年も2位で終了するも、9月、10月は13勝13敗だが、9月9日からの巨人3連戦で痛恨の3連敗、その前の中日戦でも3連敗しており、この6連敗で優勝は絶望的となるのだった。
科学的根拠はなくても、これだけの例が並べば「阪神は秋に失速する」と思わずにはいられない。しかも、CSは5回進出で4度のファーストステージ敗退(唯一の例外が2014年の勝ち上がり)。日本シリーズも6度出場の中で、日本一となったのは1985年の1回きりなのである。
引用元 阪神タイガースの「9月失速説」は本当か、思い込みか?|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva|Baseball
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