不完全燃焼のまま、プロ生活は幕を閉じた。10月1日。球団幹部から来季構想外と告げられたときのことを、阪神・清原大貴(24)ははっきりとは思い出せない。
「打撃投手での契約を提案されたんですが、“少し考えさせてください”と言いました。幸いにも、さまざまな方面から連絡もいただいていたので」(中略)
12球団合同トライアウトを受けたが、声は掛からなかった。社会人野球の練習にも参加し、一時は台湾行きも考えたほど。悩み抜いた末、出した最後の決断は「ユニホームを脱いで、夢だった柔道整復師になる」――。
西宮市内から大阪市内へ住居も移し、専門学校で一から勉強を開始する。空いた時間で、未来のプロを目指す子供に野球教室も行うといい、側面から「野球」というスポーツに携わっていく。
引用元 24歳でユニホームに別れ…清原 悩んだ末の「柔道整復師」 ― スポニチ Sponichi Annex 野球
頑張ってください!
清原くん がんばれ
まだ24歳 夢を叶えてね(^^)